ジャンプで「アイシールド21」の作画をしてる村田雄介が、漫画家志望の人たちを応援する短い漫画を描いてまして、それが「ヘタッピマンガ研究所R(リターンズ)」であります。今日はこれに触発されたという話。
で、こっから完全に前置きなんだけど、以前私は「二次創作を読んで感動したので評価基準のようなものを考察」っていうエントリを書きまして、まあそれ自体は非常にぐだぐだで痛々しいエントリなんだけども、その蛇足のところでこういう考えを述べました。
文章の個性って読書量と比例するというか、その人の身についた「書き方」はそれまで読み書きしたものの取捨選択の結果、と思うので、その取捨選択の仕方こそ個性であろう、というようなこと。
確かに知らないと出てこない表現はある
そのとき一番自分の気持ちにフィットしそうな表現というの、自然にわいてくるけど、ホントは自然にじゃなくてどこかで触れたから出てくる
だから本をたくさん読むと影響されて個性が失われる、なんてことはないな、むしろ逆だろうなんて
これは「文章を書く」という表現方法についておもに語ったつもりのものです。要はいろいろ読まなきゃ表現の取捨選択ができない、つまり幅が広がらない、というようなことを言いたかったのです。で、今週号の村田せんせいの「ヘタッピマンガ研究所R」を読んで、こっちは漫画の技術についてなんだけど、私の言いたかったようなことがよりシンプルにすごく分かりやすく書かれていて感動したので思わず引用するよ。こっから本論。
オリジナリティがないと言われるうちはインプットが足りない
やーもう村田せんせいの技術とアツイ努力についてはアイシ初期から尊敬してやまないところではあるんですが、これは至言だと思うわ、こういうシンプルさで言い切ってしまうのね、マジで神か! と一瞬思った。
村田てんてーが今週解説してるのは、「どうやったら人物の顔が魅力的に描けるようになるか」みたいな話なんだけど、結論として「好きなテイストの漫画を見て描け、模写しまくれ」ってアドバイスになるんですよ。「それって人まねになっちゃって個性がなくなるんじゃないですか」って反論も用意されてるわけだけど、そのまま発表したらマズいだけで、あくまでも練習法についてだって、そんで上の台詞に繋がるわけ。「たくさんインプットして、たくさん模写すると、自然と自分の好みの描き方を把握できるようになるし、描いたぶん技術は向上する」「想像だけでずっと描き続けてもうまくはならない」すごく納得できるし、そうすると自分がいかに努力不足か気づかされる。
ちょっと話それるけど、私が思う「うまい絵」「憧れる絵」には方向性があって、それって最終的には「自分が描きたい絵」の方向性なんだろうね。でもそれらを完全に模写すると、「自分の絵」なんてものがこの世から失われてしまう気が確かにしていた、けどそれは多分間違いで、そもそも「自分の絵」ですら単なる経験の集合体だからね、自分だけの世界で自分だけの絵を描いても上達はしない、それだったら好きな絵なり憧れの絵なりを模写をして「技術」を盗め、ということなんだと思います。個性は盗みたくとも盗めないものだし、盗まれるわけもないもの、自然とにじみ出てくるものだ、という。
「インプットも的を絞って、自分の絵に足りないと思われるところを探しながら模写するといい」みたいなアドバイスも出てきますが、そういうのは描き続けるうちに放っておいても身につきそうなポイントですね。要はインプット重要ってことで、そこが模写であっても構わない、という点、ここが今までよくあった「漫画教室」と違うんじゃないかな。って私、書籍だと「快描教室」くらいしか読んだことないのでもしかしたら他の人も書いてるかもしれんけど。
さて、ぐるっとまわって自分の言いたいことですが、村田てんてーのはあくまでも「漫画について」だったけど、私はこれ、どんな表現にも言えるんじゃないかなと思ってるところです。先に述べたように、文章についても勿論。漫画でも文章でも、セオリーってあって、起承転結とかね、てにをはとか、あるんだけど、それに固執するとか、あるいは個性を求めるあまり自分の中だけで完結させちゃうと、量は書けても上達しないんじゃないかな、と。
これを当たり前だと思ってる人も世の中にはいるんだろうな、すごいことだ。
私はそのへん全然で、というより、あまりにも自分の内側が不安定で片っ端から書きたくてたまらず書いてた時期などは、文法とかほんと酷いのね、それで全然上達もしなくて、情熱がなくなったらもうすっからかんですよ、一応「書きたい」というか「表現したい」みたいな欲求は残ってるんだけど、上達しないもんだから量が書けない、スカスカのシーン切り取り小説ばっか、インプットは自然としてたけどそれも「影響されるもんか」みたいな変な意地張ってたりもして、最悪の井戸の中ですよ。
影響なんてされまいとしてもされるときはされるし、そもそも個性は自分が思ってるよりずっと強いものとして根っこのとこにある、はず。いや私、それだけは自信あるしな、だってなんか変でしょ、私の表現は。これは意識してもしなくても出てくる業みたいなものですね。
ってまた話がちょっとそれ気味、今回のみならず毎回村田てんてーのマンガ研究所はためになるのでおすすめですよって話+αでお送りしました。気に入った回のは切り取って保存してるわー。二次創作しかやらないくせにね。つっても、たとえ二次創作でも、成長したいし、技術は向上させたいよね。私の場合、誰かに読んでもらいたいという欲求は勿論あるけど、自身との戦いみたいな部分も確かにある。
しかし文章だったらどういうのが漫画でいう模写にあたるかな、やっぱり文体模写? 雰囲気模写というのもあるかな、乙一の「小生物語(エッセイ)」の模写をずっとやりたいと思っています。私にはないラノベっぽいテイストだし分かりやすくて笑えていいなーと思うんですよ。逆に純文だったら三島由紀夫にも壮大に憧れるので、文体や雰囲気ではなく完全模写をやってみたいですね、いっそ手書きで。小川洋子も模写したいなー。町田康は文体模写っぽく二次創作を書いたとき思ったよりウケた。←ほら、これだよ、ここら辺に成長の糸口があったんだよきっと。(ただ町田康っぽい文体のは二作目が書ける気がしなかったです)
文体や雰囲気を模写しても、自分の目が物事をどう切り取るか、ってのはやっぱり個性だから、もうものすごく安心して模写しまくれば技術だけいい感じにうまくなるんじゃないかなーって気がしてきました。うむ、かなり勉強になったのと、意欲がわいてきた。
そんなわけで、村田先生ありがとう! ヒントと勇気をありがとう!!
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