Home > as always | essay > 二次創作を読んで感動したので評価基準のようなものを考察

二次創作を読んで感動したので評価基準のようなものを考察

本当にたまにしか出会わない、と自分も二次を書く私が言うとすごく生意気なことでびくびくしますが、心底これはすごいと思える二次作品なんてのはやっぱりどうしてもそう多くない。というか、それはプロの小説を読んだって同じようなことが言えるんだから、況やアマチュアのしかも二次創作をや、って話。

それで本を読んでいるとき、私が何を楽しんでいるか、っていうのは本によっていろいろ。共感、憤り、スリル、萌え、興奮、性的な何か、実にいろいろ。それで、このときの「ふり幅」の広さが、私にとっての第一の評価基準です。針がたくさんふれるものが好き、という単に好みの話でもあります。第二の基準は技巧です。ミステリーだったらトリック、純文学だったら構成、文体論調修辞そのものの美醜、ことばの選び方。で、これだけです。第三や第四やその先はありません。あと、第一と第二の評価基準は相互にほぼ関係しません。補い合うことはたまにあるけど。

このように、すごく単純な評価基準なんだけど、これには一番大事なことが抜けています。第一と第二に進む前提として、ゼロ番目の基準、みたいなのがある。

それが何かというと、「のめり込めるか」ってことです。わき目もふらず次を読みたいと思わせるか。ページをめくらせる力。文章の長い短いに関わらず読者を次へと牽引できるだけの要素。これは、第一と第二の評価基準と密接に関わるので若干ズルい基準ではあるんだけども、すごく大事だと自分では思っている。

たとえば一行目を読んで、二行目を読みたくならないようでは、もうふり幅も技巧も論じようがない。あ、ここで論じると言ってるのは、自分の中でってことです。自分の中に「読んだぞ」という体験を持つこと。それから、一行目、二行目三行目までは読んだけど、そこで著しく設定の整合性が損なわれるなどしていたら、次は読めない。これ決して、「小説としての体裁」のことを言ってるんじゃないんです、私の第一の基準は「揺さぶり」なので、起承転結がなかろうが、段落の字下げすらなかろうが、ダッシュやスペースが延々と続いていようが、会話文だけで進行しようが、そんなのは全然関係ない。なので、純粋に「のめり込ませる何か」があるかないか、これがゼロ番目。

でね、やっぱりどうしても二次創作では、ゼロ番目が薄いものが多いです。これも好みの問題ですから、好みのジャンル好みの手法であればあるほど甘くはなってしまうものだけど、まあそれでいくと最高の動機を原作から得ているはずのジャンルですら、ゼロ番目で引っかかってしまうことが少なくない。

もちろん、ゼロ番目は気合いでカバーすることも可能で、そうして最後まで読むとそこでようやく面白かった、と思うものもたまにあります。買った小説なんかどんだけ一行目で失敗したと思っても続き読まざるを得ないしね。(とくにBL)その反動というかなんというか、Web上にある小説は、お金を払って読むものではないので、途中でやめることができてしまう。知り合いからの強力なプッシュでもない限り、続きを読むことはありません。なんて言いつつ萌えてればなんとでも読むけどね、雑食ですから。

さて、そんなわけで、逆に私はこういう基準で満足させてもらえるなら、カップリングとか作者の考え方とか結論とかで選り好みはしないわけで、むしろそういう素晴らしい作品に出会うと引きずられて考え方が変わってしまう、ようなこともままある、つまり私はすごく簡単な人間ですね! ってそういうことが言いたいんではなく。

なんか、こういう調子で語りたくなるくらい素敵な二次創作に出会った、この感動をなんとかブログに書き留めておきたい、と思ったわけです。そう、もうまったく稀有な出会いがついさっきあったのです。ゼロ番目は余裕でクリア、エロなどなくても文章に雰囲気があり、こなれていて読みやすく、私が最強に好む物悲しさ、そして絶妙な余韻、すべてを有する作品であった。最後まで夢中で読みました。けっこう、久しぶりに。のめり込む感覚ってこれだよなあと思いました。一言で言うと感動した。こういう出会いがあるからなあ油断できない。

それでさあ思ったんだけど、私もできれば誰かにそのように思ってもらえるものをつくりたいなあなんて考えてるわけで、それを自分基準でいくとだね、ゼロ番目の「のめり込ませる」ってじゃあ具体的になんだろう? 小説としての体裁でもなく、ましてやその後にくる技巧でもないとすると、なんなんだろう?

これは純粋に単なる疑問で、ある程度は好みの問題だから論じようがないにしても、何かひとつくらい具体的な特徴と呼べるものがあるんじゃないかとね、思って考えてんですけど、一切まったく分からない。それがなんなのか、思い浮かばない。共通した何か、あるはずなんだけど何か。

と、曖昧な人間なりにいろいろ考えて考えた結果、それは「簡潔さ」なんじゃないかという気がしてきた。簡潔であること、つまりは読みやすさ?

そうかあ、そうだよなあ。読みにくいのをわざわざ読まないもんなあ。あとはキャラクターがとか、予定調和じゃないとか、バランスがよすぎないとか(←これは個人的な好み)、そこに至る前に読みやすさ、なんかそんな気がしてきました。すごく単純なことだけど、そして私は普段意識しててもそんなの全然できなくて泣きそうなんだけど。しかも多分、この読みやすさって難解さとかとは別の次元の話なんだろうね。文章として難しい言葉だらけなのは読みにくいにしても、平易な言葉で読みやすさを保ったまま難解なテーマを扱うことはできる。わーもうほとんどセンスの問題なのか。自分で考えといてへこんできました。他になんかあるかな、読みやすさではない何か。まだ探しきれない。

そんなわけで、真実感動してしまってなんとも奇妙な日記です。

【以下蛇足】ついでに似たような感じで最近考えたことをメモ。文章の個性って読書量と比例するというか、その人の身についた「書き方」はそれまで読み書きしたものの取捨選択の結果、と思うので、その取捨選択の仕方こそ個性であろう、というようなこと。私はビジネスメールや資料なんかでも時どき「文章好きでしょ」と呆れながら言われることがあって、別に変に凝った文ではないんだけどそれがなんで分かるのかといったら、そもそもの選択肢が多い、ってことがばれるからじゃないの、と。確かに知らないと出てこない表現はあるんよね、たとえば「舌の根も乾かぬうちに」とか友だちに送るメールに書いたら面白がられたりした、そんな感じでそのとき一番自分の気持ちにフィットしそうな表現というの、自然にわいてくるけど、ホントは自然にじゃなくてどこかで触れたから出てくるんだよなー。だから本をたくさん読むと影響されて個性が失われる、なんてことはないな、むしろ逆だろうなんて。質の悪いのばかり読んでたら偏るのはあるかもしれんけど。まあそんで、そんなこと考える以前から私は呼吸するように本を読んでいたので禁止されでもしない限りなにごともなく読み続けるんだろう。ああなんか私がああそうかとか気づくことってすごくいつも当たり前のことのような気がしてきたなー。

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://dutch-roll.com/as-always/98.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
二次創作を読んで感動したので評価基準のようなものを考察 from dutch-roll.com

Home > as always | essay > 二次創作を読んで感動したので評価基準のようなものを考察

Search
Feeds
Meta

Return to page top