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数週間の孤独

外はどんどん暑くなるのに会社の冷房が寒冷前線、罰ゲームのような毎日をみなさんいかがお過ごしでしょうか。私はそろそろメメタァってなる。

それはそうと、原稿です。とても面倒くさいことに仕事がいろいろ忙しく、加えて、突然ピヨピヨ(教え子)から人生・宇宙・すべての答えなどについての相談を持ちかけられたり、あるいは、引越し間際の友人からインターネット貸してくださいと言われたりで、愛されたいでも愛そうとしないその繰り返しの中を彷徨って、僕が見つけた答えはひとつ、怖くたって傷ついたって大好きな同人誌を作り続けるということです。さようなら。教え子はまだ若いのに生きるべきか死ぬべきか的なことを言っていました。心配です。生きるべきかとか言っても200年後にはどのみちみんな死んでいますよ。せめてハムレットなどと呼んであげたい。

それで昨日は発狂しそうになったので漫画を買い求めました。阿仁谷ユイジの新刊が出るみたいな噂を聞き、本屋を何軒かまわったのですが見当たらず肩すかしだわーと思ってbasso.「Gad Sfortunato」、英田サキ原作山田ユギ画「たかが恋だろ」、あと表紙の男の子が好みっぽかったのでややサブカルで河内遥「へび苺の缶詰」など買い、サイゼリアでプリンなど食らいながら読みました。自分で言うけど私はBLを外で読める豪傑です。なんか全然狙ってなかったんですけど、サキ&ユギのと河内遥の両方に同じ年ごろの幼い子ども(しかもなんか外見も似てる)がサブキャラとして出てきていて、なんだこの偶然とか思いました。全然ジャンル違う話なのに。そんで河内遥のほうは、一般向け(太田出版だし)なのですが、ゲイの切ない恋の話も入っていて、すごく好みだった。むしろBL2冊より断然気に入ってしまいました。こういう出会いがあるから本屋では油断できません。サキ&ユギ両先生はそれぞれ単品のほうが読みやすい気がしますね。ともかく英田サキはヤクザが好き過ぎだ。

しかしこのところ漫画をたくさん読む中で、とくにコマ割りとか台詞の入れ方とかをじっくり見る時間もとるようにしてるのですが、絵やストーリーだけでなくコマ割り(というかコマごとの構図)にも特徴って出るんだなーというようなことに気がつきました。そしてBLって基本顔まんがなんだなーとしみじみ思った。もちろんそうじゃない作家さんもたくさんいますけど、基本的に見せたいのは顔なんだ、という。エロシーンも顔なんですよねなんか。正確に表現するなら「キャラ」だと思うんだけど顔が重要であることには変わりないっつーか。ついでに男性向けを観察するに、体まんがだなーと思う。エロシーンも体内まで描く人いるじゃないですか、あれなんかモロに「体」がメインで、顔とか多分ただのアイコン。すると、女性はわりとエロまんがを読むのであっても男性をキャラクターとして見るし、顔超大事、一方で男性は体重視なんでしょうね。とても分かりやすい。分かりやすすぎて脱線しましたが、要はBL的なものを描きたいときは顔とキャラを目立たせる描き方にすれば無難で、そうでなくストーリーまんがなんだと強調したいなら顔を描かなければいいんじゃないかとか、そういうことを考えている。(もはや常識だったらごめん……)

あと、めっちゃ描き込んでも読みにくくならないコマ割りとか、スカスカでも手ごたえを感じるコマ割りとか、好みにもよるだろうけど何か法則性はないかとかめっちゃ探しています。やっと掴んだ感覚としては、あれですね、コマの中に一定の大きさのものが続くと、ウザい感じですね。人だけでなく小道具とか背景でも、だいたい同じくらいの大きさのコマの中に同じくらいの大きさの物体を並べ続けると変な圧迫感が出てウザい。(圧迫感の演出にはむしろいいのかもしれませんが)最終的に、コマの大きさだけではなく、コマの中にあるものの大きさも含めてリズム、と学習しました。人だけじゃなく小道具や背景にも描くときの手首のグリップっつーか癖が出る角度みたいのがあるんですね。私は人間の器も小さいので気をつけないとすげー小さいものばっか画面に並んで病気みたいになりました!!

さらにまったく関係ない話を突然始めると、磯崎憲一郎が芥川賞受賞インタビューで答えてたことが印象的でした。「小説は時間を描く」「小説がどういう方向へいくのか、設計図なしで書いている」「何でも最初の一行だけなんです」作品からもそういう印象は受けますけど、言語化されてると少し感じ方が変わりますね、本当にそうだったのかーという感じ。設計図なしの小説ってアリなんだよな。というか私はわりとそういう小説って好きで、マルケスとかシコシコ読んでると充足感を覚えますし、保坂和志はそんなに好きじゃなかったんだけど(彼はある意味かわいらしすぎる)、あと町田康は読むのめんどくさくなっちゃったんだけど、そっか、私は設計図のない漂流感を楽しいと思ってたのか。

ラノベブームからこっち、小説の手法って全体的にキャラクター&シナリオ寄りになった気がしてたんですよ。漫画原作的というか、大塚英志的というか。むしろハリウッド化? 魅力的なキャラクターの作り方、描写の仕方、あるいは起承転結などのシナリオライティング、これらの、なんていうか、「あなたも小説家になれる!」みたいなさ、すべての小説は画一的な手法によって“再現”可能、と言われたような、妙な窮屈さをずっと感じていたのですが、それが磯崎さんのインタビューによって覆されたような気がしてスッキリです。大衆娯楽系の作家からしたらもう型破りもいいとこなんじゃん? 「最初の一行しか決めてません」みたいなの。でも芥川賞とったってことは、ちゃんと実績として残る。いやークール。

ただこの手法自体に関してだけでなく、もういっこ思ったのは、こうやって自分の型を知っている人は強いなーってことです。「自分から型にハマる」みたいなことをわりとネガティブに言う人もいますが、私は何かしらの「型」を持ってる人が好きなんですよね、ブレがなくて、その頑固な感じというか、それこそ強いと思うし。小説の型なんてのは信念に近いって気さえするんです。経験からしか生まれない、自分だけのスタイルじゃないですか、どういう影響をどういうバランスで受けてミックスされたかとか、本当にその人そのものみたいなんが出ると思うのです。全然うまく言語化できないけど……。

そういうわけで単に同人誌などをしかも超小部数で作っているだけの私が、なんか大それたようなことを考えている時点で痛いんですけど、しかし磯崎さんの受賞インタビューにはマジでいろいろ感じるところがあったということです。まあとにかく原稿やってからまた考えたいと思います。

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